あなたは、「コピー機の心理実験」というものをご存じでしょうか?
心理学者ランガーらは、コピーを取っている人に近づいて、ABCの三種類で頼みをしました。
A 「先にコピーさせてください」
B 「急いでいるので先にコピーさせてください」
C 「コピーを取らなければいけないので、先にコピーさせてください」
このとき、
A 「先にコピーさせてください」
の承諾率は、約60%。
しかし、
B 「急いでいるので先にコピーさせてください」
C 「コピーを取らなければいけないので、先にコピーさせてください」
の承諾率は、どちらも約94%でした。
すなわち人間、とにかく理由づけをすると、OKされやすくなるわけです。
ですのでたとえば、「お茶しようよ」よりも、
「いいカフェを見つけたから、お茶しようよ」や、
「話したいからお茶をしようよ」と言った方がよく。
同じく、「電話番号を教えて」より
「連絡したいから番号教えて」や、
「また話したいから番号教えて」
と聞いた方がOK率がアップするのですね。
スマートフォンの画面を暗くしたらバッテリーの持ちが断然に良くなった。俺も無理に明るく振る舞うのはもうやめよう。
日本人と中国人の違いなんて、中国語を日本語に翻訳した程度では、双方の会話が成り立たなかったりもするほどのものがあったりもするんです。
概念が違うというところを理解してお互いに話をしないと、通訳がいても会話にならず、論点は定まらず、北京語が話せたとしても有益なおつき合いができません。
今日は私が中国人に接して知った、思考回路の違いを並べてみました。
= = ☆ ☆ ☆ = =
日本人は、ともに苦難を乗り越え目標を目指す同志を仲間とします。
中国人は、自分に利益と繁栄をもたらし、一緒に喜ぶ相手を仲間とします。
(苦難はチームワークではなく、各自が自己の力量で回避するものなのです)
日本人は、価値観が一致して、自分の安全を託しても後悔のない人を親友とします。
中国人は、自分のお願い事をかなえてくれる努力を惜しまない人を親友とします。
(役に立ってこそ友達なのです)
日本人は、友達には迷惑をかけたくないと考えますが、
中国人は、迷惑をかけても許してくれてこそ友達と考えます。
(だからたまにむちゃくちゃなお願い事をされます)
日本人は、今の自分があるのはみんなのおかげと考えますが、
中国人は、今の自分の成功は自分の努力の結果であると考えます。
(人生において自分こそが主人公ですね)
日本人は人生において「運が良かった」と考える人が多いですが、
中国人には「私は世界で一番不幸」と考える人がたくさんいます。
(「ワダシ世界で一番不幸の人よ!」という不幸チャンピオンが多すぎます)
日本人は失敗を反省し、自分を高める糧としますが、
中国人は失敗を後悔し、自分を失敗させた誰かをを探します。
(残念ながら、自分ではわかっていても、
自分に責任を認めることはまずありません。)
日本人は反省しますが、中国人は反省させます。
(外交にも現われていますね)
日本人は約束を守りますが、中国人は約束を守らせます。
(これも外交姿勢のとおり)
日本人は他人の失敗を「お互い様」として許しますが、
中国人は自分の失敗を「お互い様」であると主張します。
(その主張がお互い様であることはわかっています)
日本人は幸せな結婚をゴールとしますが、
中国人は、幸せになるために結婚し、スタートします。
(特に相手男性の財産や人脈についてはとても現実的です。)
日本人にとって、嘘は恥ずかしいことですが、
中国人は、恥ずかしいことを隠すために嘘をつきます。
(マジで面子をかなぐり捨てた、哀れに思えるほどのウソで面子を守ります)
日本人は初めての動物をみると、まず「咬む動物かどうか」を考えますが、
中国人は初めての動物をみると「食える動物かどうか」を考えます。
(植物についても同じです)
日本人は生かされていることに感謝しますが、
中国人は生きる努力を誇りにします。
(だからあらゆる手段と力で運を切り開くのです)
日本人は真心を重んじ、役立つ人間であることを目指しますが、
中国人は面子を重んじ、大切にされることを望みます。
(自分自身が「中」心の「華」であることを他人にも求めます)
日本人は主観より客観を大切にしますが、
中国人は主観から客観を作り出します。
(自信のない日本人はつい振り回されがちになります)
日本人は無償の貢献ができる人間になりたいと思いますが、
中国人は無償の貢献を引き出せる人間を探します。
(たくさんの人から貢献を引き出せる人こそが尊敬される大物です)
日本人は常に自分を見つめていますが
中国人は常に他人を監視しています。
(だから共産党が安泰なのです)
日本人は他人を信頼して安全を確保しますが
中国人は他人を信頼できないから安全を確保したがります。
(だから日本人が間抜けに見えます)
日本人はお世話になった人に贈り物を繰り返し送りますが、
中国人はお世話になる人に繰り返し贈り物をします。
(お世話になった過去の人に贈り物をすることは無意味です)
日本人は将来人の役に立つ子を育てますが、
中国人は将来自分を養う子を育てます。
(実際に子供は日本人よりはるかに親孝行です。)
日本人はある程度の教養がありますが計算に疎い。
中国人は教養がなくても暗算がとても早いのです。
(すばやい暗算ができないとカモられるのだそうです。)
日本人は食事を残さず全部食べて、もてなす側に感謝しますが、
中国人は食事をたくさん残して、食べきれないほどの歓迎に満足を伝えます。
(全部食べてしまうと、ホスト側を不安にさせてしまいます)
「おいしい」という言葉を禁じると、おいしさを表現するための言葉や、もしかしたら感覚が豊かになっていく。「豊かな表現」みたいなものは、獲得を強要するよりも、一番便利な単語を禁じるとうまくいく。
うちのばーちゃんは、人が来るととにかくお茶を出す。新聞の集金だとかNHKの集金だとかそういう人でもだ。その技術がすごい。普通、ちょっと来ただけの人がお茶を出されそうになったら話を切り上げて帰るもんだ。用事済ませたら帰りたいだろう。仕事中なら尚更。しかし、ばーちゃんは帰さない。いつのまにかお茶を入れて出している。お茶を出すよという気配を出さないまま、いつのまにかお茶が出ている。そもそも常にポットに湯が入っている。あの押して出す古いポットね。軽く20年は使ってそう。っつーか俺が小学生の頃から変わってないからそれ以上。この前、観察していたら、相槌をしながら話の腰を折らず、話を相手に続けさせる。その間に、急須に手早くお茶の葉を入れる。そうだね、そうだねとかなんとか言いながら、急須をくるくる回してお茶をジャー。そのジャーを見た瞬間、来客は話を切り上げようとするものの、ばーちゃんは、それで**は##なの?などと合いの手を入れ、相手が、それは**で・・・と答えたあたりで、お茶をポンを目の前に出す。これで来客はお茶を飲んじゃう。ばーちゃんは聞き上手。話が止まらない。お茶が無くなりかけると追加のお茶が入る。追加のお茶の具合で、相手の暇具合を察知し、漬物とかみかんが追加される。場合によってはうどんが茹でられたりも。そしていつのまにか上がらされ、コタツin。そういう人たちをたくさん見て来た。いつのまにか酒まで飲んでコタツで寝る人まで。
ばーちゃん恐い、恐いよ、そのもてなし技術。何者だよ。俺もたまに行くと、お茶攻撃を受ける。入れてくれたから飲む→追加される→入れてくれたから飲む→追加される。このループ。腹がお茶でパンパン。でも、いつの間にかそうなってるんであって、途中で苦しくなる訳でもない。知らない間に飲まされてる。ばーちゃんに言うような話じゃなくても言わされてる。CIAとかFBIとかに訓練されてるんじゃないかとすら思える。そして帰りがけには野菜とか米とかのお土産を持たされる。俺がお茶でトイレが近くなっているスキに玄関に置かれている。靴履いている間にお土産の話されるから逃げられない。ばーちゃんちの蛍光灯を交換しに行っただけなのに、3時間は会話&お茶。帰りには食料満載。催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえもっと恐ろしいものの片鱗を味わったよ。
ただ、赤ちゃんを抱きながら、僕にひとつだけわかったことがある。
それは、僕が生まれた日に、父親も同じように喜び、ホッとしながら困惑していたのだろうな、というとだ。
そして、僕の両親は、こんな小さくて弱い生き物を生きながらえさせ、自分の足で立てるようになるまで、懸命に支えてきたのだ。
少なくとも、僕が生まれた日、こうして僕を抱きかかえていた両親は、間違いなく僕を大事にしてくれていたのだ。
僕は「自分の子供が生まれてきたこと」の喜びというより、「自分がこんなにも親に愛されていたこと」を感じながら、息子を抱えていた。
今日お店に来た外国人に「これはペンですか?」と聞かれて ついにこの時が!と思ったら全神経が震えた。 「This is a pen!」